monmonブログ

東京在住33年目。海外と仕事したり交際する中で比較しながら思考が深まったものを発散する

貞操観念が崩壊した東京

東京で32年間生きてきた中で違和感を抱き続けた一つが性への価値観だ。

 例えば不倫。ここには数多くの不倫がある。IT業界の一部の成功者は家庭を作ったあとにどうやって二つ目の家庭を作るかが共通認識として話されたりする。

そんなの、あくまで個人の価値観だ。もちろん。だけど人間は同期する生き物。環境により大きく左右される。伝染するのだ。不倫が当たり前の文化の中で暮らしていたら、不倫に対しての罪悪感を持つほうが難しいだろう。

 

風俗の充実。前職では、飲み会の後に男性陣がこぞって風俗に行くなどということもあった。タイに男性何人かで行けば、売春をするのは暗黙の了解。それを飲み会の場で話すのも非常に明るく楽しく会話がなされる。

 

JKカフェやメイドカフェなどの存在も性を売り物にしている。JKカフェやメイドカフェでお父さんと同じくらいの客相手に「にゃんにゃん」「ご主人様」などと言って商売する若い女の子は、自己尊厳がなさすぎる。

 

セックスフリーをうたう国や地域もあるし、体験談はないがセックスアンドザシティを見る限りNYもセックスは氾濫しているのかもしれない。ただ東京でのセックスの氾濫は、そこに自己承認が絡んでるからとても不幸な感じがする。性欲がオープンになっているのではなく、日本の女の子は性を売ることで自己承認を得ているからだ。

 

 

なんでこんなに、貞操観念が崩壊しているんだろう?

なんでそうなっているんだろう?

 

私なりに思い当たる理由を書き出してみる。

  

1. 性はタブーとされ、男女の接触さえも無い抑圧された社会

家庭の中でも社会でも、性教育はなく、性について語るのはタブーとされているのは日本の特徴。さらに、日常のコミュニケーションで男女の接触は全く無い。こういった抑圧が逆に、日本の性産業を発展させたのではないかという仮説。

こちらにも記したが、マケドニアと比較して思考を深めている。

 

2. 自己承認に欠ける家庭

一見、性産業と関係ないが、私はこれが特に女性側への原因だと思う。セックスを軽視し、簡単に身を売る(金銭が関わらなくても)女性は、何かに植えている。何かを埋めたくてセックスをしたり、チャットアプリで見知らぬ人と会話をしたり、言い寄ってきたおじさんとセックスしたり、メイドカフェでにゃんにゃん言葉を使ったりする。

彼女たちのその根源にあるのは、誰かに必要とされたい、愛されたいのだ。

それは、本来家庭で受けるべき愛情が、不足していたのだと思う。

JKカフェで働いている女の子の話を聞いていると、たまにリストカットをするが親はそれを心配しない(逆に迷惑がる)などの信じられない話を平気でしてくれる。

 

 

その理由としてこの辺が思い当たっている。

・親の精神的未熟さ

・育児・子育てへの軽視

・愛情表現力に乏しい言語

 

親の精神的未熟さは置いておく。

育児・子育てへの軽視は、男女ともに働くことケースが増えた昨今、女性の社会進出と子育ての両立が議論されていて働く私も漏れずにその議論には興味があるのだけど、だんだん外部のサービスを活用して子育てを効率的にまわす思考になっていることに気づく。育児や子育ての内容の深さを議論するのではない。

私は子供もいなく育児未経験者なので想像でしかないが、本来は育児や子育てで「絶対に抑えなければいけないポイント」はいっぱいあるんじゃ無いかと思っている。それを見逃しまくって仕事してない?という。

 

次に愛情表現力に乏しい言語。

築き上げられた国民性に、言語の影響は大きいと個人的には思っている。

例として、日本語では"I love you"にあたる適切な言葉がない。だが英語の”I love you”と言う言葉は、恋人はもちろん家族にも使う。そして頻繁につかう。おはよう、おやすみのようにI love youと言って愛情を伝える。日本語の「愛している」は重たすぎてとても家族で使えるイメージではない。

また、英語では"I love my kitty"と言う表現をするが、これの日本語訳がない。「私の猫ちゃん超可愛いの!」みたいな表現か?猫に対するloveという感情が表せない。可愛いという表現に置き換えたりしている。

つまり日本語では愛情表現がしにくい言語だと思うのだ。

 

そんな背景もあってなのか、日本の家族での愛情の伝え方は、言葉にせずとも分かりやすい態度に示さずとも、「察知する」ものとなった。それは美学ともいえる。だから日本人は「察知力」が高く、協調能力が高い。だが分かりやすい愛情を受け取れないことの副作用も同時にあるのではないか。

 

承認に植えた状態の女性が、性的なものと引き換えに誰かから必要とされることを得ているように思えてならない。

 

3. 正常/異常 しかない多様性のない社会

全てが正常じゃないといけない雰囲気。何か一つでも失敗すると全てが失敗(異常)になるような社会。

結婚をして子供を産むことが幸せ、30歳を超えて未婚の女性は負け組、外国人と結婚する人は日本でモテなかった人、宗教は「どの宗教」と言う議論より宗教を持っているだけで異常、小学校の教育で子供の人生が決まる、、

島国の単一民族で多様性に恵まれない環境では、価値観が固定化することは致し方ないとも思う。だが閉塞的だ。この環境の中では「正常」とされる(認められる)ためには、あれもこれも満たさねばならないポイントが山ほどあるのだ。